付録 「鹿児島の青少年に誇りと夢を」 - 3 自分らしさと言うこと4

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瀋陽~ハルピン 列車内-1 瀋陽発ハルピン行き 特快 軟座車(特急 グリーン車)内 風景。広軌であり日本の新幹線と同じ広さである。硬座車、食堂車、寝台車も繋いでいる、硬座車(普通車)は3プラス2人がけでさすがに雑然としていた。

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瀋陽~ハルピン 列車内-2 牛乳パックである。

大東亜戦争敗戦前後、なだれを打って攻め込んで来るソ連軍兵士に追われた何万、いや何十万人の日本人同胞達が列車であるいは歩いて、この路線を南下し逃げただろうか。飢えと恐怖とに苦しんだ事であろう、そして内地(日本本土)の土を踏むことなく無念の最後を迎えられた人々の数字を想像できるであろうか。

さらに母親に背負われたり、抱かれたりした乳飲み子達で飢えと恐怖の為に、母親のお乳が出なくなり、亡くなった方々の数字を想像できるであろうか。おなかを痛め産んだわが子を置き去りにする人々など今はともあれ、当時の母親達には考えられない事であった、それが何故、あのようにたくさんの残留孤児が出たのであろうか。

お母さん達は我が子を飢え死にさせる事が出来なかったのである。
「次善の策」 を採らざるを得なかったからである。

そんな方々の為にと思い、牛乳パックを列車の窓際に捧げつつ満州鉄道の旅を続けた。