付録 「鹿児島の青少年に誇りと夢を」 - 2 日露戦争100年に想う4

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ロシヤ軍 旅順要塞 東鶏冠山北ほ塁-5 電話室から司令部室にあがる階段。

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ロシヤ軍 旅順要塞 東鶏冠山北ほ塁-6

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ロシヤ軍 旅順要塞 東鶏冠山北ほ塁-7 明治38(1905)年12月15日前線視察の為、東鶏冠山北ほ塁に来ていたロシヤ軍きっての闘将であり、旅順要塞軍兵士達から最も大きな信頼を得、尊敬をされていたコンドラチェンコ少将は、日本軍の放った28センチ榴弾砲弾のためこの地で戦死した。戦後その栄誉をたたえる日本軍の手によりこの記念碑が建てられた。この後より旅順要塞軍最高首脳である、司令長官ステッセル中将を初めとする開城論の勢いが強くなった。